内藤について

ダンボールを通じて
社会のために
できることを探し続ける
まじめな会社です

株式会社内藤は、富士山や八ヶ岳、南アルプスの山々を一望できる豊かな環境に恵まれた美しい立地にあります。
私たちは、ダンボール製品の製造·販売を通じてお客様に信頼され、また安心できる製品とサービスを提供し
これからも人々の豊かな暮らしを、美しい自然を、かけがえのない地球を 包み、守る存在であり続けられるよう努力していきます。

社長挨拶

無限の可能性を秘めたダンボールを大切な財産である社員とともに後世へ繋ぐ会社作りを

代表取締役社長内藤 久夫

株式会社内藤は、1861年(文久元年)江戸時代末期に前身である木屋として創業し、木材を生業としてまいりました。1952年(昭和27年)、株式会社内藤製材所として法人化し、1970年(昭和45年) 新たにダンボール部門を設立しました。ダンボール部門の発展に伴い社名を「株式会社内藤」に変更し、以来ダンボール製造で包装産業の一翼をになってまいりました。

弊社の経営理念は「3つの貢献」として、取引先・社員・社会へ貢献することを掲げております。創立以来多くの皆さまに支えていただき、ダンボールを中心として物流と環境に寄与してまいりました。

また今でこそ当たり前になった災害用ダンボールは、阪神淡路大震災を契機に全国でいち早く弊社が生み出した製品と自負しております。

ダンボールひとつで、人々の役に立てることへの価値を見出し、さらに震災に対する社員の熱い想いを目の当りにできたこと、それが今の「3つの貢献」へ繋がっているのだと感じております。

今後もさらにダンボールが持つ多くの可能性を探り、皆さまへの貢献を目指してまじめな社員が作り出すダンボールのあたたかさを次世代へ繋げていくよう努めてまいります。株式会社内藤は、これからもまじめな社員が光り輝く会社として一丸となって活動していきますので、引き続きのご支援、ご愛顧を賜りますようお願い申し上げます。

2018年9月27日

経営理念

仕事を通じて取引先、社員そして社会のそれぞれへ貢献することを目指し、
「3つの貢献」としてその実現に努力してまいります。

  • 取引先への貢献

    まずお客様に対してすぐれた製品やサービスを迅速に適切な価格で提供することにより役立つことが大切です。また取引先とはお客様だけではなく仕入れ先とも良好な関係を保ち両者が共に栄えることを目指すものです。

  • 社員への貢献

    仕事を通じて社員が豊かで安定した生活を確保できること、そして技術やノウハウを得ることや会社生活を通して自分自身の生き方や生きがいを高めることができる会社を目指します。

  • 社会への貢献

    会社の経済活動を通じて製品が社会に役立つこと、利益を生み納税することが重要です。また地域へのボランティア活動・教育活動・環境への配慮などで社会への貢献は会社にとって重要な要素です。

会社沿革

創業は江戸時代

株式会社内藤の前身は江戸時代末期にさかのぼります。当社に保存されている数少ない資料のうち木製の「岡持ち」に木屋重兵衛文久元年の文字が残っています。1861年(文久元年)、今から156年前のことです。木屋という商号から木材に関することを生業(なりわい)つまり仕事にしていたことがわかります。
その後現社長の祖父、内藤彦四郎が「内藤製材」という商号で木材の製材業を営みさらに先代で父の内藤登が1952年(昭和27年)に「株式会社内藤製材所」を設立し正式に法人としてスタートしました。つまり今は主にダンボールの製造販売会社でありますが、元は木材関係の会社だったのです。 木を地元の山から切り出してそれを製材つまり板材や柱材に加工するのが主な仕事でした。また木の端材を使って木材チップを製造し製紙会社に販売することも行っていました。しかしながら木材の輸入自由化とともに海外から安い木材や製材品が輸入されたり、住宅建築に木をあまり使わなくなったことにより製材業は衰退していきました。

ダンボール産業への転機

そこで着目したのがダンボール産業で1970年(昭和45年)にダンボール産業へと進出しました。小規模な仕事しかできなかったゆえさまざまな苦労があり、当時はまだ株式会社内藤製材所ダンボール工場というのが正式名称で通称「内藤ダンボール」で呼ばれていました。その後事業の発展により製材業の仕事よりダンボールの仕事のほうが多くなってしまい社名との不一致が生じているということまたさらには将来どのような多角的経営になるかもしれないという可能性もあって1985年(昭和60年)に現社名の「株式会社内藤」へと社名変更をしました。

ダンボール産業からのステップアップ

製材部門の縮小そして解散を経て1987年(昭和62年)には、ダンボール企業として一つの大きなハードルであるコルゲータの導入に成功しました。ある一定量の仕事量がないとコルゲータの導入はできませんし、また技術的レベルも多くのものを要求されますのでこの機械の導入により当社の業界内での立場は一気に向上をしました。お客様からの信頼や期待は今まで以上に大きなものとなりました。
それ以降さまざまな機械の導入やノウハウの蓄積を行い今日に至っていますが、途中特筆すべきことはインターネット時代を先見し、2005年(平成17年)にネット通販サイト「ミスターダンボール」を開設。また地震災害における「ダンほーむ」の作成による社会貢献は新しいダンボールの機能開発に着手したよい結果だったと思います。また遊休していた敷地内にセブンイレブンを誘致したことにより地元企業とのコラボレーションが成功し双方の事業の発展に大きく寄与しました。

災害用ダンボール
について

  • 1861年(文久元年)

    木屋重兵衛が木材業を営む。

  • 1927年3月(昭和2年)

    先代内藤彦四郎が内藤製材を創立。

  • 1949年(昭和24年)

    先代より内藤 登が受け継ぐ。

  • 1952年5月(昭和27年)

    株式会社内藤製材所に組織変更。
    以来県有林の払い下げを受け、立木から製材製品まで一貫作業によって販売を行う。

  • 1955年3月(昭和30年)

    チップ部門を設け大昭和製紙への納入を開始。

  • 1969年3月(昭和44年)

    姉妹会社(株)内藤ハウスを設立。仮設ハウス及び組立住宅部門に進出する。

  • 1970年7月(昭和45年)

    ダンボール部門を設立。

  • 1980年4月(昭和55年)

    日本工業規格(JIS)表示許可工場に認定される。

  • 1981年3月(昭和56年)

    全農準指定メーカーとなる。

  • 1985年4月(昭和60年)

    (株)内藤製材所を(株)内藤へ社名変更。

  • 1987年10月(昭和62年)

    コルゲータ導入により、シート・ケースの一貫メーカーとしてスタートする。

  • 1988年3月(昭和63年)

    全農指定メーカーとなる。

  • 1988年12月(昭和63年)

    代表取締役会長に内藤 登、代表取締役社長に内藤久夫が就任。

  • 1989年3月(平成元年)

    フォルダグルアならびにフレキソプラテンダイカッタ導入。

  • 1990年12月(平成2年)

    製品倉庫立体化完成。

  • 1993年2月(平成5年)

    廃水処理装置導入。

  • 1993年9月(平成5年)

    印刷機EXCEED導入により、印刷部門強化を図る。

  • 1994年2月(平成6年)

    パレタイジングロボット導入。

  • 1995年5月(平成7年)

    コルゲータラインにダウンスタッカー導入。

  • 1998年3月(平成10年)

    第二工場新築。

  • 1999年5月(平成11年)

    パレタイジングロボット2号機導入。

  • 2000年1月(平成12年)

    スーパーαフレキソフォーミンググルアー導入。

  • 2003年8月(平成15年)

    新型廃水処理装置導入。

  • 2005年4月(平成17年)

    ダンボール通販サイト「ミスター・ダンボール」オープン。

  • 2007年3月(平成19年)

    印刷機アクシス・画像検査装置導入。

  • 2008年8月(平成20年)

    印版洗浄機導入。

  • 2009年4月(平成21年)

    生産管理システム・図面管理システム導入。

  • 2010年9月(平成22年)

    高速サンプルカッター導入。

  • 2011年6月(平成23年)

    ワンタッチグルアー導入。

  • 2014年1月(平成26年)

    フレキソフォルダグルアEVOL導入。

  • 2019年11月(令和元年)

    自動平盤打抜機カートンマスター導入。

  • 2020年5月(令和2年)

    3色フレキソプリンタスロッタアイビス導入。

  • 2020年9月(令和2年)

    アイビスに画像検査装置ユニット増設。